2021年3月20日土曜日

日本学術会議委員選任拒否事件①

 

1 事案の概要

 菅義偉総理大臣は日本学術会議が法律に基づき推薦した委員のうち6名の選任を拒否した。これは日本学術会議法第17条及び第7条に基づく行為と菅義偉は弁明した。

※参考資料:e-Gov条文:日本学術会議法

2 問題の所在

 総理大臣に、推薦された会員候補者について任命拒否権があるか否かであるから、基本的には総理大臣に選任権があるかどうかの問題である。
 選任権が無いのに選任拒否権があるというのは法論理的には重大な矛盾だからである。
 それは例えて言えば天皇は「形式的」に総理大臣や最高裁判所長官を任命する(憲法第7条第5項)。
 しかし勿論、条文のどこにも「形式的」の文言はない。
 それは、天皇は象徴であって国政に関する権能がないことが前提として存在するからである。
 選任をあえて「選定」と「任命」に区別すれば、選定が実質で任命は形式ということになる。

3 日本学術会議法第7条の前提

 同条で規定されている学術会議会員の総理大臣の任命権には明白に重大な前提事項が存在する。
 それは天皇の国事行為には重大な前提となる「内閣の助言と承認」が存在するのと全く同じ法的構造である。
 それが学術会議による「推薦」である。
 これは天皇の国事行為が「形式的」であることをあえて文言で表現しなくても論理的な解釈(これを講学上文理解釈という)により当然「形式的」なものであることが共通の認識として存在するからである。
 つまり、同条の総理大臣の任命行為は憲法第7条第5項と同じく、当然に「形式的」なものである。
 形式的な任命権であるから当然、実質的な選任権の存在を論理的に前提する、任命拒否権は存在しない。

4 日本学術会議の存在及び期待される行動は行政行為ではない

 先ず、会員は公務員ではないから会員の如何なる行為も行政行為・処分としての法的性質はない。
 従って、行政権の最高責任者である総理大臣の政治責任、法的責任も発生しない。
 総理大臣の公務員に対する任免権は総理大臣の責任の有無に直結しているから認められるのであって、無関係の者の地位に介入関与する理由は存在しない。

 では何故、総理大臣の会員任命権が認められるその必要性は何か。
 それには理由が二つある。
 一つは日本学術会議の存在形式、法的形態にある。
 公務員が多数天下りして第2、第3の就職先にしている「公益法人」形態であれば、その理事長、理事の選任ひいて従業員は「自治的」に決定できる。
 日本学術会議は「団体」であっても、もっとも原始的な形態であり法的自治が制度的に保障されていない(法人格の不存在)。
 それは学者集団の知性の高さにあると思える。
 会長の地位に利権が伴うこともなければ、会員もその地位に恋々としない。
 学者として世間に有用であるかどうかは自分自身で判断できる。

 二つは、運営経費は国費が投入されるから、その点だけで国家が関与する。
 いわば総理大臣の会員任命規定はその国費投入の象徴的規定に過ぎない。
 例えば、教育学問研究団体である学校法人に国は助成金を支給しているが、自治的法制度が整備されているから、理事の任命に総理大臣が関与することもない。
 関与すれば権限濫用行為との非難を受ける。
 今回の菅義偉総理大臣の任命拒否は正しく権限濫用である。

5 争訟

 菅義偉総理大臣の権限濫用行為についての争訟はその利害関係と侵害利益の内容により当事者が異なる。

 学術会議は推薦権の侵害、妨害を受けたことを理由に任命拒否を争い、総理大臣の任命に代わる「判決による任命」を裁判で勝ち取り、同時に菅義偉個人に対する損害賠償の請求が可能である。
 権限濫用行為は単なる不法行為と構成することができるからである。

 問題は任命を拒否された6名の学者らである。
学者らは「会員であることの地位の確認」訴訟を提起することは恐らく法律学者の間でも意見が分かれるところだろう。

 しかし、少なくとも利害関係者として総理大臣の行為を違法な行政行為として処分無効の行政訴訟を提起することができる。
 そして、行政処分には理由を付する必要があるため、その任命拒否の理由も求めることができる。

 しかし、これについても有名な宮本判事補再任拒否事件判例があり、最高裁判所自身が採用権者として不採用の理由を開示する義務はないとした。
 ここでも、採用権限の有無、任命権限の有無がポイントとなるが、前述のように総理大臣には実質的任命権限が無いのであるから、理由の有無に拘わらず違法となるか、少なくとも任命拒否の「正当」な理由の開示が求められるだろう。
 しかし、日本の裁判官が、自分の任命権者である総理大臣を糾弾できるかを考えたとき、裁判は長期化し全く結論は見えないものとなる。

6 外野の頓珍漢論評

 舛添要一は「東大教授」の経験から、日本学術会議は全く、若い新進気鋭の学者には老害そのもので制度そのものが税金の無駄遣いとする見解を発表した。

本件事件は総理大臣の任命拒否が正当かどうかが論点であるから、舛添要一の自慢の元東大教授の肩書きも「馬鹿の象徴」となっている。全く関係の無い議論で、単なる経歴自慢の論評である。

 学術会議での会員の行動や意見・見解の表明は「学問の研究」でもなければ、会員になれないことが「言論の自由」を侵害する行為でもないから、これらの人権の侵害だとする論評も飛躍しすぎた論評である。


※参照資料ーー(データマックス)【凡学一生の日本学術会議委員選任拒否事件】

0 件のコメント:

コメントを投稿