嘘と詭弁
日本社会に限らず、嘘は強い非難と糾弾を受ける。
しかし、詭弁は日本社会では花盛りである。奇しくも、菅政権の誕生によって、稀代の詭弁の名手が2名脚光を浴びることとなった。
有名弁護士で政治評論家である橋下徹と官房長官加藤勝信である。
橋下については説明の必要がないくらい雄弁で頭の回転が速く、かつ博識で政治経験も豊富である。加藤は東大法学部を卒業し、官僚となり、世襲議員(実際は故加藤六月議員のジバンを相続した娘と結婚した形の世襲)となった。両者に共通する属性は有能な法律家ということである。
日本の法律学体系が詭弁学の体系
しかし、これは偶然ではない。日本の法律学体系が詭弁学の体系だからである。
詭弁には往々にして権威主義を背景にしたものが多い。
つまり社会的権威者の言説には詭弁が多い。日本の各界各層で詭弁が花盛りである理由の一つが権威主義を背景にしているということがある。
有能な法律家は詭弁もうまいことがその要件のひとつでもある。
嘘との区別、嘘との本質的相同性異質性等の概念に関する本質論が存在しないことが原因
この詭弁が奇妙に社会に受け入れられている最大の要因は、嘘との区別、嘘との本質的相同性異質性等の概念に関する本質論が存在しないことが原因である。
筆者は夙に詭弁は嘘そのものであると主張をしているが、日本社会では全くこの種の議論をしない。
そこで、今回は具体的事例において、嘘と詭弁の本質について説明する。
嘘と詭弁の本質について説明
1 河井・案里事件
検察官は被告人らは投票依頼等を目的に多数の有力者に金銭を交付したもので、買収罪に当たると主張し、被告人らは金銭の交付は当選祝いや陣中見舞い、党勢拡大のための目的であったと弁解主張している。
当面の主題は「嘘と詭弁の本質的関係」であるから、被告人らの弁解が考察の対象となる。但し、事件が無罪で確定すればその場合には検察官の主張が「嘘」ということになる。本稿ではとりあえず、検察官の主張は真であるとの前提で議論する。
(1)被告人らの弁解は嘘か詭弁か 序論
嘘についての仮定義
嘘とは物理的存在としての事実の認識に反する言説
日本の家庭では一般的に幼児に対して「嘘をついてはいけない」という規範をしつける。この場合、幼児に可能なのは体験事実の認識であり、その認識と発言の相異の認識だから、嘘とは第一義的に上述の仮定義となる。
詭弁についての定義
嘘が比較的簡明に定義できるのにくらべ、詭弁はその定義自体が複雑である。ここでベン図的論理思考に慣れた人は、安易に嘘は詭弁の部分集合(つまり、一部でしかない)と錯覚する。これがまた、嘘でない詭弁の存在を認め、詭弁の横行を許す心理的原因ともなっている。筆者の主張は嘘と詭弁は同値関係、円で言えば完全に過不足なく重なり合う関係であるから、包含関係は同値というものである。この問題は、そもそも嘘と詭弁は同一平面上にあるものではなく、ベン図的論理関係にないということを指摘しておきたい。以上の前提で詭弁の仮定義を示す。
詭弁についての仮定義
詭弁とは観念的存在についての事実の認識に反する言説
観念的存在には定義概念による観念的存在と、規範概念による観念的存在がある。話が抽象的になっているので具体的な例で説明する。
法人というのは法律で規定された観念上の存在であるから登記等を見て法人を認識することは定義概念による観念的存在を認識したことになる。
配偶者の一方が婚外性交をした場合、貞操義務という規範に違反したと判断するから当該行為は違法行為であると判断した場合、当該違法認識は規範概念による観念的存在である。
そして詭弁はこれらの認識に反する言説である。
以上の説明から明らかなように、嘘も詭弁も「認識に反する言説」であるから、本質は全く同じである。しかも詭弁は極めて重大な主題についてもその隠蔽効果は絶大であるから、犯罪性は単なる事実認識の隠蔽よりはるかに重大となる場合が多い。
(2)被告人らの弁解は嘘か詭弁か 結論
一般の人は合理的判断として、自分の選挙前に他人に金銭を交付することは投票依頼であり投票期待であって、陣中見舞い等ではない、と判断するから、被告人らの弁解は嘘と考える。
また、陣中見舞いは偶然に同時進行した場合の「こじつけ」だから、それは詭弁だと考える。党勢拡大との理由に至っては万能薬的口実であるから、これまた詭弁と考える。
しかし前述序論で定義したとおり、金銭の交付をした本人の弁解であるから、存在しうる論理的判断は詭弁でしかない。しかも詭弁だけで必要十分である。嘘も詭弁も
社会における共同生活の根本である信頼を阻害する効果は同じであり、反社会性は同じだからである。
実際の生活において嘘と詭弁について厳密に定義して用語を制限する意味は全く必要ないが、曖昧性が便利な分だけ、詭弁が誤解により社会に存在する可能性がある。
嘘も詭弁も自らの利益と保身のための「認識に反する」行為であり、共同社会生活を根本から破壊する最高レベルの規範違反であることを認識すべきである。
2 結語
嘘も詭弁も不正な言説に対する非難用語であるから、社会に容認されてはならない。
補足
前安倍晋三政権では詭弁だけではなく、嘘までもが幾度と無く公然と横行した。腐敗頂点社会といっても過言ではない。森友加計事件では幾度も「丁寧に説明する」という元安倍晋三総理大臣の言説を聞かされたが、「丁寧」という言語概念に相当する説明行為は無かったし不祥事で辞任する国務大臣の連続にも「責任を痛感する」との弁解謝罪はあったが、「責任:責めに任ずる」という実際の行為は何も無かった。
「拉致問題は安倍内閣の最重要課題」との言説は安倍晋三自身の口から幾度も聞いたが、在任期間7年8ヶ月の間に何ひとつ成果は実現せず、拉致された娘に二度と会うこともなく横田滋さんは亡くなった。
一刻も早く日本から嘘と詭弁を放逐しなければ、健全な国民は育たない。